アスベストによる被害
アスベスト労働者の惨状
日本でのアスベスト被害は、ごく一部しか分かっていないのが現状です。最初にアスベスト被害が出たのは、アスベスト製品を製造していた労働者です。
第2次大戦前から、大阪近郊にはアスベスト紡織などの工場が集中していました。とてつもないアスベスト粉じんの中で、2000人以上のアスベスト労働者がマスクもしないで働いていました。
1940年までに14工場650人のアスベスト紡織労働者を調査した結果、80人がアスベスト肺の疑いあるいはアスベスト肺と診断されています。勤続3年で異常が出はじめて、勤続20年以上の人は皆アスベスト肺でした。
戦後になっても状況は改善ざれません。1956年から57年の調査で、大阪のアスベスト工場労働者330人のうち90人がアスベスト肺の疑いあるいはアスベスト肺と診断されているのです。
このようにアスベスト労働者の惨状が明確になったために、ようやく1960年にじん肺法が制定されて、健康管理が義務付けられたのです。
アスベスト被害の多い職種
アスベストの被害は、こうしたアスベスト製品製造労働者だけの問題ではありません。アスベストを運搬したり、アスベスト製品を取り扱う労働者にもアスベスト被害が続出しています。
輸入されたアスベストの荷揚げ作業に従事して肺ガンになった横浜港の労働者が、1996年に労災認定されています。働いていたアスベスト保管庫では、粉じんが舞っていたそうです。また、造船労働者にも多数のアスベスト被害者がいるようです。
大工さんやビル解体業の方も、アスベスト被害の多い職種です。すでにアスベスト肺、肺ガン、悪性中皮腫で労災認定を受けるケースが続出しているのです。現在、アスベストの約9割が建材に使用されており、今後さらに被害が拡大する恐れがあるのです。