毒性の判明
人体への危険性
紀元前後のギリシア・ローマ時代、アスベスト鉱山で働く抗夫たちやその繊維を織る奴隷たちの間に、早くも肺疾患が多発していました。1世紀ごろには、動物の膀胱の透明な膜を防じんマスクとして使用しています。
ランプの芯職人らが、防じんマスクで自衛しているとの記録も残されており、アスベスト災害が深刻かつ広範囲だったことを伺わせます。
アスベストの工業用大量使用時代の到来は、現在も稼行中のカナダ・ケベック州の露天掘り鉱山群での本格的な採掘が始まった1877年に幕を開けました。しかし、1898年にはアスベストの人体への危険性を警告する論文が発表されたのです。
その2年後にロンドンの病院で行なわれた死体解剖で、勤続10年目の織物工だった33歳の男性の肺内からアスベストの鋭く尖った小破片が摘出されました。織物工は生前、解剖医に同期の同僚9人が全員死んだと言っていたそうです。
アスベスト肺の命名
1900年頃のイギリスのアスベスト織物工場では30代前半の女工たちの肺繊維症による死亡が相次ぎ、大問題に発展し、1927年に彼女たちの病名はアスベスト肺と命名されたのです。
フランスでも1906年に、労働省の査察官が国内のアスベスト工場を調査、わずか5年間で50人が死亡した工場などを発見しました。
1912年には、カナダも同様の調査を実施するなど、産業革命の伝播とともにアスベスト災害も急速に拡大し、それは看破できぬほどにすさまじかったのです。